Sunday, October 22, 2006

 福岡・民家火災

「誰か来て」悲鳴、孫助けに火の中へ 福岡・民家火災
2006年10月21日15時56分
 4世代が仲良く暮らす家が、またたく間に炎に包まれた。福岡県豊前市で21日朝、5人が犠牲になった民家火災。行方不明となっている祖母はいったん避難した後、逃げ遅れた幼い孫の元へ再び駆け込んだ。現場は田園に囲まれた古くからの集落。助けを求める叫び声が、週末の朝の静けさを破った。駆けつけた近所の人たちは突然の悲劇に言葉を失った。

早朝の火災で、5人が遺体で見つかった住宅=21日午前8時5分、福岡県豊前市市丸で
 午前5時半。「誰か来て!」。現場付近に女性の悲鳴が響き渡った。
 近くに住む人たちが「なにごとか」と外に飛び出すと、東陽一郎さん(69)方から火の手が上がっていたという。同居している娘の江口晴美さん(38)が家の外で、大きな声で助けを求めていた。
 家の前には、東さんの妻玉喜さん(67)が孫の大祐ちゃん(5)の手を引いて、しゃがみ込んでいた。隣家の女性が玉喜さんのそばに駆けつけ、「しっかりしなさい」と励ました。
 だが、この女性がやけどをしていた大祐ちゃんを自分の家に避難させて現場に戻ると、玉喜さんの姿が見えなくなっていた。「取り残された孫らを助けに戻ったのではないか」と、近所の人たちは安否を気づかった。
 難を逃れた3人の孫たちは、玉喜さんと一緒に寝ていた。「おばあちゃんが外に連れ出してくれた」と話したという。
 玉喜さんは、地域のお祭りなどの炊き出しや買い物で先頭に立つ、リーダー的な存在だった。「活発だけど謙虚さも併せ持った人だった」と人柄をよく知る人たちは声を震わせた。
 出火当時、晴美さんと夫の慎二さん(37)、三男莉記ちゃん(3)、次女小梨伽ちゃん(2)は2階で寝ていた。晴美さんは慎二さんの大声で火事に気付いて寝室のドアを開けたが、既に煙が充満していたらしい。
 行方不明になった莉記ちゃんと小梨伽ちゃんは、兄の大祐ちゃんと3人で近くの市立ちづか保育園に通っていた。
 主任保育士の女性によると、莉記ちゃんはおとなしい子だった。「晴美さんが迎えに来ると、妹の小梨伽ちゃんが靴をはき終えるまで見守ってあげる、優しい子でした」と唇をかんだ。
 一方、小梨伽ちゃんは明るくて活発な子だった。保育園に来客があると手を振ってあいさつしていた。担任の女性保育士は「年下の子が帰るとき、かばんを取って渡してあげるなど、お世話をしてくれた。仲良しの兄弟に囲まれて育ったから、明るく活発だったんでしょう。いなくなるなんて、信じられません」と涙ぐんだ。
 晴美さんは一人っ子だったため、「子どもはたくさんつくりたい」と周囲に話していたという。現場に駆けつけた奥村秀喜園長は「子ども好きで、おおらかなお母さん。お気持ちを思うと、言葉にならない」と話した

asahi.comから
 そんなに犠牲になってしまうなんて。

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